幻水5はネタバレしてます
byぷり
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最近、感情にふりまわされることが多い。
もしも私の人生に課題があるとしたら、「感情によって揺さぶられる自分をどうするか」ということではないかと思う。
小さい時から、自分は、どうしようもない感情に振り回され、つらかったり、悲しかったり、怒りでどうしようもなくなったりしていた。
むろん、楽しいこと嬉しいことなども、たくさんあったが、それらの感情は、心にずっととどまってくれはしない。
悲しい、つらい、怒りなどの負の感情は、いつまでもいつまでも、長いこと、心から出ていってくれないのにだ。
ほんの小学校の低学年のころの話だが、ニュースやワイドショーで、残忍な殺人事件などの報道をしていると、うちの祖母は必ずその犯人をあしざまに罵った。
「人でなしだ」「あんなやつ、この世から消えてなくなってしまえばいい」「死刑になってしまえばいい」
こんな感じである。
私は、それを聞いて、いつも思っていた。
「どうしておばあちゃんは、あんなに犯人を憎むんだろう? なぜあんなに罵るんだろう? 自分だって、いつ怒りにまかせて人を殺してしまうかもしれないのに」
……。
大人になってから思った。
なんで、子供がこんな風に思うのだろうか。これって普通の子供の考え方?
なんかあったのか自分?
その幼い人生で、人を殺してしまいたくなるような怒りを感じたことがあるというのか?(いや、ない)
だが、爆発しそうな感情を抑えきれなくなって、ギャーギャー叫んだり、泣きわめいたりしたことはあった。
そんな時は、自分が押さえられず、どんな行動に出るかわからなくて、そういう意味で自分を信用していなかった。
いつ怒りにまかせて人を害してしまうかわからないという恐怖が、確かにあった。
そういえば、小さい時は、泣きわめくことで、悲しみや怒りをどうにかできた。
大人になった今は、叫んだり、泣いたり、なかなかできないから、いつまでも負の感情に悩まされてしまうのか?
話がそれた。
いや、ちょっと待て?
思い出した。
私は、自分が自分の感情をうまく処理できず、そのために心平静でいることができないのを嫌って、人づきあいを避けたり、あまりしゃべらなくなったり、一人でいることを好んだりしていたのではなかっただろうか?
その結果、編み物をしたり、絵を描いたり、文を書いたり、本を読んだりしている時間が増えていったのかもしれない。
大人になってからは、なるべく心を揺さぶられないように、そういうことになりそうな場所へ行くのを避け、そんなことになりそうな職業を嫌い、友からの遊びの誘いを断り続け、嫌いな人からは遠ざかった。
また思い出した。
私は「恥ずかしい」という気持ちにもひどく敏感だった。
思えば、幼稚園のころから、羞恥心があった。水着に着替える時に、みんなみたいに裸になれなかったし、歩く時に、みんなのズボンのケツのしわが動くのを見て、自分のズボンのしわもあんなふうに動いているのかと思うと、恥ずかしくてならなかった。
そして、恥ずかしいことをしてしまった時は、怒りや悲しみなどと同じぐらいに、その気持ちが心に残ってしまって、何度も思い出しては、ウォーーーーーッ、となっていた。
恥ずかしい思い出を作らないためにも、私は外出を嫌い、一人でいることを好んだ。
なんてこった、だから、私という人間には能動的な部分はあまりないのか。
消極的な自分に、かなり悩んできたが、
そんなことが原因だったとは、いま知ったヨ!(アホか、自分)
ほれ、やっぱ「自分の感情をどうするか」が「人生の課題」だった。
それで話を戻すが、
「なんで最近、こんなにイライラするのかしら? なんで小さなことで怒ってしまったり、その怒りをどうにもできないんだろう? 更年期障害になったのか? 歳のせい? どうでもいいけど、心健やかになりたいヨ」
というのが、最近の私の悩みで、そのことを話すつもりでいたのだが。
よーく考えろ、自分。
歳とった自分は、確かにイライラも多くなったが、
今は、どんなに怒りを感じても、その相手に感情をぶつけたりしなくなった。
「犬がうるせーんだヨッ! どうにかしろぃっ」と思っても「お宅のワンちゃんのことですが……」と笑顔で苦情を言いにいけるようになった。
子供時代のように、ギャーギャー泣き叫んだりしなくなった。
恥ずかしいと思うことは、だいぶ少なくなった。
イライラする人に対して「あいつめ、あいつめ、あいつめ、あいつめ」と思い続けても、思い続けていることを途中で気がつけるようになった。インターネットで心を健やかにするにはどうしたらいいのか検索したりして、呼吸法をやってみたり、運動してみたりするようになった。
「そうだ、自分、文が書けるんだから、文章にしてみよう」などと思ってみたりする自分もいた。
ほんで、こうして文にしてみて気がついた。
わたしさ……、成長してるヨ!
ウッ、感動した。ちょっと涙出そうになった。(ちっと出たヨ)
もう、ギャーギャー泣いてた自分じゃない。
怒りで人を殺してしまうこともあるかも……、なんて思っていた子供の自分はだいぶ小さくなっていた。
実は、さっきまで、職場のことでイライラしてどうしようもなくて、胃まで痛くなっていたんだけど。
書いているうちにだいぶ良くなった。
文章ってすごいなっ。
自分、文章、稚拙だけど、そんなのはどーでもいいんだよ。
自分の人生の課題が「感情によって揺さぶられる自分をどうするか」ということだとしたら。
人生が、それを克服するための修行場だとしたら。
神様は、解決するための持ち物を私に最初から与えてくれていたんだよ。ウォー、神様、すげえ。
ウォーッ、
神様を誉めたら、神様に対して素直に「ありがとう」って言葉が出てきた。
なんだか、涙、本気で出てきた。
(アホか、自分、神様信じてないくせによ)
これからも、イライラすることはたくさんあるだろうけど、
そのたびに、キィーーーーッってなるだろうけど、
私、私の持ち物でやっていくことにする。
そうする。
もしも私の人生に課題があるとしたら、「感情によって揺さぶられる自分をどうするか」ということではないかと思う。
小さい時から、自分は、どうしようもない感情に振り回され、つらかったり、悲しかったり、怒りでどうしようもなくなったりしていた。
むろん、楽しいこと嬉しいことなども、たくさんあったが、それらの感情は、心にずっととどまってくれはしない。
悲しい、つらい、怒りなどの負の感情は、いつまでもいつまでも、長いこと、心から出ていってくれないのにだ。
ほんの小学校の低学年のころの話だが、ニュースやワイドショーで、残忍な殺人事件などの報道をしていると、うちの祖母は必ずその犯人をあしざまに罵った。
「人でなしだ」「あんなやつ、この世から消えてなくなってしまえばいい」「死刑になってしまえばいい」
こんな感じである。
私は、それを聞いて、いつも思っていた。
「どうしておばあちゃんは、あんなに犯人を憎むんだろう? なぜあんなに罵るんだろう? 自分だって、いつ怒りにまかせて人を殺してしまうかもしれないのに」
……。
大人になってから思った。
なんで、子供がこんな風に思うのだろうか。これって普通の子供の考え方?
なんかあったのか自分?
その幼い人生で、人を殺してしまいたくなるような怒りを感じたことがあるというのか?(いや、ない)
だが、爆発しそうな感情を抑えきれなくなって、ギャーギャー叫んだり、泣きわめいたりしたことはあった。
そんな時は、自分が押さえられず、どんな行動に出るかわからなくて、そういう意味で自分を信用していなかった。
いつ怒りにまかせて人を害してしまうかわからないという恐怖が、確かにあった。
そういえば、小さい時は、泣きわめくことで、悲しみや怒りをどうにかできた。
大人になった今は、叫んだり、泣いたり、なかなかできないから、いつまでも負の感情に悩まされてしまうのか?
話がそれた。
いや、ちょっと待て?
思い出した。
私は、自分が自分の感情をうまく処理できず、そのために心平静でいることができないのを嫌って、人づきあいを避けたり、あまりしゃべらなくなったり、一人でいることを好んだりしていたのではなかっただろうか?
その結果、編み物をしたり、絵を描いたり、文を書いたり、本を読んだりしている時間が増えていったのかもしれない。
大人になってからは、なるべく心を揺さぶられないように、そういうことになりそうな場所へ行くのを避け、そんなことになりそうな職業を嫌い、友からの遊びの誘いを断り続け、嫌いな人からは遠ざかった。
また思い出した。
私は「恥ずかしい」という気持ちにもひどく敏感だった。
思えば、幼稚園のころから、羞恥心があった。水着に着替える時に、みんなみたいに裸になれなかったし、歩く時に、みんなのズボンのケツのしわが動くのを見て、自分のズボンのしわもあんなふうに動いているのかと思うと、恥ずかしくてならなかった。
そして、恥ずかしいことをしてしまった時は、怒りや悲しみなどと同じぐらいに、その気持ちが心に残ってしまって、何度も思い出しては、ウォーーーーーッ、となっていた。
恥ずかしい思い出を作らないためにも、私は外出を嫌い、一人でいることを好んだ。
なんてこった、だから、私という人間には能動的な部分はあまりないのか。
消極的な自分に、かなり悩んできたが、
そんなことが原因だったとは、いま知ったヨ!(アホか、自分)
ほれ、やっぱ「自分の感情をどうするか」が「人生の課題」だった。
それで話を戻すが、
「なんで最近、こんなにイライラするのかしら? なんで小さなことで怒ってしまったり、その怒りをどうにもできないんだろう? 更年期障害になったのか? 歳のせい? どうでもいいけど、心健やかになりたいヨ」
というのが、最近の私の悩みで、そのことを話すつもりでいたのだが。
よーく考えろ、自分。
歳とった自分は、確かにイライラも多くなったが、
今は、どんなに怒りを感じても、その相手に感情をぶつけたりしなくなった。
「犬がうるせーんだヨッ! どうにかしろぃっ」と思っても「お宅のワンちゃんのことですが……」と笑顔で苦情を言いにいけるようになった。
子供時代のように、ギャーギャー泣き叫んだりしなくなった。
恥ずかしいと思うことは、だいぶ少なくなった。
イライラする人に対して「あいつめ、あいつめ、あいつめ、あいつめ」と思い続けても、思い続けていることを途中で気がつけるようになった。インターネットで心を健やかにするにはどうしたらいいのか検索したりして、呼吸法をやってみたり、運動してみたりするようになった。
「そうだ、自分、文が書けるんだから、文章にしてみよう」などと思ってみたりする自分もいた。
ほんで、こうして文にしてみて気がついた。
わたしさ……、成長してるヨ!
ウッ、感動した。ちょっと涙出そうになった。(ちっと出たヨ)
もう、ギャーギャー泣いてた自分じゃない。
怒りで人を殺してしまうこともあるかも……、なんて思っていた子供の自分はだいぶ小さくなっていた。
実は、さっきまで、職場のことでイライラしてどうしようもなくて、胃まで痛くなっていたんだけど。
書いているうちにだいぶ良くなった。
文章ってすごいなっ。
自分、文章、稚拙だけど、そんなのはどーでもいいんだよ。
自分の人生の課題が「感情によって揺さぶられる自分をどうするか」ということだとしたら。
人生が、それを克服するための修行場だとしたら。
神様は、解決するための持ち物を私に最初から与えてくれていたんだよ。ウォー、神様、すげえ。
ウォーッ、
神様を誉めたら、神様に対して素直に「ありがとう」って言葉が出てきた。
なんだか、涙、本気で出てきた。
(アホか、自分、神様信じてないくせによ)
これからも、イライラすることはたくさんあるだろうけど、
そのたびに、キィーーーーッってなるだろうけど、
私、私の持ち物でやっていくことにする。
そうする。
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