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幻水5はネタバレしてます  byぷり
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うちのマンション、駐輪所が地下にあるのだ。
そこへいく階段のことだが。

夏の間、雨が降るとそこに、たまにみみずがいた。
自転車で轢くわけにはいかず、(気持ち悪いしね)みみずの自力脱出を望むわけだが、みみずが自力で階段を登れるとは思えず、そしてまた、放置した場合、マンションの他の住人が、みみずをどうにかしてくれるとは思えず、まったくしかたがなく、私とマイ相棒がみみずを逃がしてやっていたのだが、その時のみみずの憎らしさときたらなかった。
こっちは、助けてやろうってのに、棒の先におとなしくぶら下がってなんかくれない。
やつは、ここが人生の正念場とでもいうように、バカ力を発揮して、大暴れをしやがる。
グネングネングネングネンッ!
「イヤーーーーーーーッ!」
(←我ら)

フウフウ……ッ。

金輪際、みみずとはかかわりたくないと思うのだが、次の雨の日には、また別のみみずがいるのである。

なんでいんの?
たまり場なの?

たまり場、そうかもしれない。
実は、ななふしもそこによくいるのである。
ななふしとは、棒に細い足が6本ついてるような虫で、その棒きれのような形態からいって、生息場所は、おそらく「木」。
自然界に帰れよ。
なんでコンクリートの階段にいんだよ?

いるんだよ。
なぜか、いるんだよ、頻繁にいるんだよ。
1匹、2匹じゃないんだよ。

そのななふしも、よくその場所で死ぬ。

やめてくれんか?

ななふしだけじゃない。

かまきりもよくいる。
頻繁にいる。
何匹も見かける。
そこで大股開きで死んでいく。

だれも処理しないので、
管理人さんが、気づいてどうにかしてくれるまで、ずーっとそこで死んでいる。

蝉も、コガネムシも、みみずも、ななふしも、かまきりも、そこで長いこと、死体をさらす。
ヘタすると、自転車に挽きつぶされている。

なんでだよゥー……ッ。(もはや、涙声)
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なぜだ、
ある日、なんだか、頭が痒かった。
なので、髪の毛を洗った。

だのに、まだ痒い。
次の日には、すごいフケが出た。

だので、また洗った。
まだ痒い。
次の日にはまたすごいフケが出る。

しばし繰り返す。

シャンプーを変えた。

同じだった。

いまだに頭が痒く、
すぐにフケが出る。

どれだけ、再生能力を持ってんだよ、私の頭皮。

いいかげんにしてもらいたい。
どーすりゃいいのよ。
最近、感情にふりまわされることが多い。

もしも私の人生に課題があるとしたら、「感情によって揺さぶられる自分をどうするか」ということではないかと思う。

小さい時から、自分は、どうしようもない感情に振り回され、つらかったり、悲しかったり、怒りでどうしようもなくなったりしていた。
むろん、楽しいこと嬉しいことなども、たくさんあったが、それらの感情は、心にずっととどまってくれはしない。
悲しい、つらい、怒りなどの負の感情は、いつまでもいつまでも、長いこと、心から出ていってくれないのにだ。

ほんの小学校の低学年のころの話だが、ニュースやワイドショーで、残忍な殺人事件などの報道をしていると、うちの祖母は必ずその犯人をあしざまに罵った。
「人でなしだ」「あんなやつ、この世から消えてなくなってしまえばいい」「死刑になってしまえばいい」
こんな感じである。
私は、それを聞いて、いつも思っていた。
「どうしておばあちゃんは、あんなに犯人を憎むんだろう? なぜあんなに罵るんだろう? 自分だって、いつ怒りにまかせて人を殺してしまうかもしれないのに」

……。
大人になってから思った。
なんで、子供がこんな風に思うのだろうか。これって普通の子供の考え方?
なんかあったのか自分?
その幼い人生で、人を殺してしまいたくなるような怒りを感じたことがあるというのか?(いや、ない)
だが、爆発しそうな感情を抑えきれなくなって、ギャーギャー叫んだり、泣きわめいたりしたことはあった。
そんな時は、自分が押さえられず、どんな行動に出るかわからなくて、そういう意味で自分を信用していなかった。
いつ怒りにまかせて人を害してしまうかわからないという恐怖が、確かにあった。

そういえば、小さい時は、泣きわめくことで、悲しみや怒りをどうにかできた。
大人になった今は、叫んだり、泣いたり、なかなかできないから、いつまでも負の感情に悩まされてしまうのか?

話がそれた。
いや、ちょっと待て?
思い出した。
私は、自分が自分の感情をうまく処理できず、そのために心平静でいることができないのを嫌って、人づきあいを避けたり、あまりしゃべらなくなったり、一人でいることを好んだりしていたのではなかっただろうか?
その結果、編み物をしたり、絵を描いたり、文を書いたり、本を読んだりしている時間が増えていったのかもしれない。

大人になってからは、なるべく心を揺さぶられないように、そういうことになりそうな場所へ行くのを避け、そんなことになりそうな職業を嫌い、友からの遊びの誘いを断り続け、嫌いな人からは遠ざかった。

また思い出した。
私は「恥ずかしい」という気持ちにもひどく敏感だった。
思えば、幼稚園のころから、羞恥心があった。水着に着替える時に、みんなみたいに裸になれなかったし、歩く時に、みんなのズボンのケツのしわが動くのを見て、自分のズボンのしわもあんなふうに動いているのかと思うと、恥ずかしくてならなかった。
そして、恥ずかしいことをしてしまった時は、怒りや悲しみなどと同じぐらいに、その気持ちが心に残ってしまって、何度も思い出しては、ウォーーーーーッ、となっていた。
恥ずかしい思い出を作らないためにも、私は外出を嫌い、一人でいることを好んだ。
なんてこった、だから、私という人間には能動的な部分はあまりないのか。

消極的な自分に、かなり悩んできたが、
そんなことが原因だったとは、いま知ったヨ!(アホか、自分)
ほれ、やっぱ「自分の感情をどうするか」が「人生の課題」だった。

それで話を戻すが、
「なんで最近、こんなにイライラするのかしら? なんで小さなことで怒ってしまったり、その怒りをどうにもできないんだろう? 更年期障害になったのか? 歳のせい? どうでもいいけど、心健やかになりたいヨ」
というのが、最近の私の悩みで、そのことを話すつもりでいたのだが。

よーく考えろ、自分。
歳とった自分は、確かにイライラも多くなったが、
今は、どんなに怒りを感じても、その相手に感情をぶつけたりしなくなった。
「犬がうるせーんだヨッ! どうにかしろぃっ」と思っても「お宅のワンちゃんのことですが……」と笑顔で苦情を言いにいけるようになった。
子供時代のように、ギャーギャー泣き叫んだりしなくなった。
恥ずかしいと思うことは、だいぶ少なくなった。
イライラする人に対して「あいつめ、あいつめ、あいつめ、あいつめ」と思い続けても、思い続けていることを途中で気がつけるようになった。インターネットで心を健やかにするにはどうしたらいいのか検索したりして、呼吸法をやってみたり、運動してみたりするようになった。
「そうだ、自分、文が書けるんだから、文章にしてみよう」などと思ってみたりする自分もいた。

ほんで、こうして文にしてみて気がついた。

わたしさ……、成長してるヨ

ウッ、感動した。ちょっと涙出そうになった。(ちっと出たヨ)
もう、ギャーギャー泣いてた自分じゃない。
怒りで人を殺してしまうこともあるかも……、なんて思っていた子供の自分はだいぶ小さくなっていた。

実は、さっきまで、職場のことでイライラしてどうしようもなくて、胃まで痛くなっていたんだけど。
書いているうちにだいぶ良くなった。

文章ってすごいなっ。
自分、文章、稚拙だけど、そんなのはどーでもいいんだよ。

自分の人生の課題が「感情によって揺さぶられる自分をどうするか」ということだとしたら。
人生が、それを克服するための修行場だとしたら。
神様は、解決するための持ち物を私に最初から与えてくれていたんだよ。ウォー、神様、すげえ。

ウォーッ
神様を誉めたら、神様に対して素直に「ありがとう」って言葉が出てきた。
なんだか、涙、本気で出てきた。
(アホか、自分、神様信じてないくせによ)

これからも、イライラすることはたくさんあるだろうけど、
そのたびに、キィーーーーッってなるだろうけど、
私、私の持ち物でやっていくことにする。

そうする。
人に嫌われるおばちゃんたちがいる。
どんな職場にもいる。

なぜ嫌われるか、なぜ、そんなおばちゃんになっていくのか、どうしてどこにでもいるのか、少しわかってきた。

私の知っている、怠け者でずるいタイプのおばちゃんのことを少し話そう。
特徴はこう。

1.とにかく怠ける。
2.しゃべってばかりいる。
3.ずるい。
4.「忙しい忙しい」と忙しいことをアピール。
5.仕事ぶりを、お客にほめられたことをアピール。きれいになった、と言われた。いつもありがとう、と言われた。よくそんなに体が動くね、と人に言われた。などという話をする。
6.他の人の欠点を探し、けなす。

なんでこんな人がいるんだー、と思っていた。
だが、だんだんわかってきた。

まず、
1.とにかく怠ける。↓
おばちゃんになると、足だの腰だのが痛くなってくる。疲れがたまりやすく、若い人みたいに、一晩寝たら疲れがとれるわけではない。もしも無理をして、体でもこわした時は、病院代はかかるわ、働けなくなるわで、たいへんなことになってしまう。
だから、全力を出しきることができない。余力を残しておかねばならないのである。
そこで能力の出し惜しみをする。その結果、怠けてしまう。


2.しゃべってばかりいる。↓
怠けていると、時間が空いてしまう。それを埋めるために、しゃべる。「仕事の話」をしていれば、仕事のうちだと思っている。「仕事の話」→「他の社員のうわさ話」→「他の人の悪口」になるパターンが多い。

3.ずるい。↓
体のために、怠ける。その怠けを上司などに知られるわけにはいかないので、怠けを隠すためにずるくなる。

4.「忙しい忙しい」と忙しいことをアピール。↓
怠けている人ほど、「忙しい」アピールが激しい。とにかく、自分は一生懸命働いていることにしなければならないのだ。

5.仕事ぶりを、お客にほめられたことをアピール。きれいになった、と言われた。いつもありがとう、と言われた。よくそんなに体が動くね、と人に言われた。などという話をする。↓
アピールの別パターン。とにかく自分が重要な人材だと思ってもらわなくては困るのである。

6.他の人(特に若い人)の欠点を探し、けなす。↓
おばちゃんは、若い子たちに、いつも追いつめられている。自分の労力が若い人におよばないことはわかっているのだ。だけど、生活のためには、なにがなんでも年金がもらえるまでは、働かなくてはならない。
そして、怠け者だと知られてクビにでもなった時には、新しい仕事を探さなければならない。だけど、50歳、60歳、を雇ってくれる会社は少ない。
そのため、職場に、どうしてもしがみついていなければならないのだ。
いつも、追いつめられているために、他の人、若い人たちの悪口を言う。欠点を指摘する。いじめる。
自分が、こそにいるためには、働き者を追い出さなくてはならなくなる。



以上のことがパターン化する。

こんなおばちゃんばかりでは決してない。
けど、こういうタイプのおばちゃんはいるのだ。
「自分、一生懸命に働いているのに、おばちゃんにいじめられる」などという時、ちょっと思い出してもらいたい。

若い人は、なぜおばちゃんにいじめられるかわからず、一生懸命にがんばってしまったりする。そしていよいよ、仕事能力を高めていく。そうすれば、おばちゃんにけなされないで済むと思っているのかもしれないが、それは違うのである。
そういうおばちゃんは、とにかく自分より能力のある人がいてくれては困るのである。
だから、だらしのない子がいると「あの子には困ったものだね」とその子をけなし、その子を叱りながら、安心していられるのだ。
そんなおばちゃん(おっさん)のいる職場は、つらい。仕事をがんばっても、がんばらなくても、いじめられたり叱られたりしなければならないのだから。

おばちゃんは、おばちゃんなりの場所を自分で作っていかなければならないのに、そうやって、人に嫌われ、皆にいやがられ、いよいよ自分の居場所を失ってしまう。
もしも心あたりのあるおばちゃんがいたら、その人にも思い出してもらいたい。

他の人の欠点をけなすほど、あなたは完璧ではないよ。
できないことをけなすのではなく、できることをほめてやったらどう?
そうしたら、若い子は、喜んで働くよ。
「おばちゃんは僕の仕事をほめてくれた」「おばちゃんは、がんばったことをわかってくれた」「おばちゃんは、私を認めてくれた」
仕事をしていて、誉められることほど嬉しいことはない。
お給料をもらうことよりも、仕事を認めてもらう方が嬉しいかったりするよ。
そうすれば、おばちゃんは、体がえらくて仕事がうまくできない時も、若い子がカバーしてくれる。「ありがとうね」と言ってあげたら、喜んでやってくれるよ。
そしたら、仕事能力が若い子に追いつかなくても、おばちゃんの居場所はできる。人をけなして、自分だけが手柄を取ろうとしなくても、若い子を育てる、という重要な役割の部分で立っていられる。

ただ、若い子を誉めることにするとしても、注意してもらいたいことがある。
「毎日、いやというほど誉めてはいけない」
自分、あるおばちゃんに、いやというほど誉められて、気持ちが悪かったことがある。
「この人、本気で誉めてない」というのが見えるのだ。
「自分が誉めてもらいたいから、人を誉めるのだ」ということが伝わってくるのである。
人を誉める時は、本当に「この子、偉い」と思った時でいいと思うよ。
そして、ねっとり誉めない、さらっと誉める。これ重要。


わし、えらそうなことを言った。
ちょっとひっこむ。

自分、理不尽な攻撃をしてくる人や、怠け者なのに告げ口ばかりする人、それを真に受ける人、仕事をしないくせに、こっちのミスを指摘してくる人、等々。
いやな思いをして、むかつくことが多い。

たぶん、世の中の100万人以上の人が、職場で似たような憤りを感じたり、激しく悩んだり、嫌気がさしたりしていることだろう。
私だけではない。

けど、私が酸欠で苦しんでいる時に、私の隣で同じく酸欠で苦しんでいる人がいたところで、私の酸欠状態が変わるわけではない。
誰がどこで私と同じ苦しみを感じているとしても。私は、今、苦しいのだ。

そこで考えた。

1.苦しいのは、夜となく、昼となく、その人がいないところでもその人のことばかり考えてしまうから。
2.考えがパターン化していることに気がついた。同じことをグルグル考えて、ずっといやな気持ちになっているのである。
3.この考え方のパターンは、私のクセのようだ。この考え方は、自分を不幸にする。
4.パターンを変えよう。

こうだ。

今まで
いやな人がいる→信じられない、なんで私がこんな目にあうの?→あの人は、こんなことをしやがった、あんなことをしやがった。→理不尽だ、私は悪くない→あの人をどうにかできないかな→同じことをしてやろうかしら→それじゃ向こうもさらにこっちにパンチを繰り出してきて泥沼になる→じゃあ、どうしよう→対策をモンモンと練る。→答えが出ない→エンドレス→いよいよその人への憎悪が深まり、やたら腹が立つ。

これから
いやな人がいる、いやな気分→また同じ考えの繰り返しだということに気づく。→あんな人もいるんだ、珍しい人だな、ギャグ漫画みたいな人だ。→対策? そんなものは練らない。無駄無駄、あの人は変わらない。→あの人の視野に入らないところに行こう。こちらも視野に入れないようにしよう。→なにか歌を歌おう。口笛を吹こう。自転車でぶっ飛ばそう。楽しいことを考えよう。おいしいものを食べよう。好きな人と遊ぼう。→腹は立たない。

こんな感じでどうかな。
うまくいかなかったら、またなにか考えてみる。
職場での出来事。

自分は一生懸命働いているつもりだったが、ある人の気にさわることをしてしまったらしく、陰湿な攻撃を受けた。

1.その人は、長々と根に持つタイプである。
2.自分では、不満を私に言えないので、裏で告げ口などをするタイプ。
3.こちらが一生懸命に仕事をしているのを絶対に認めない。
4.こちらの小さな欠点を見つけて、それをネタにこちらのいやがることをする。
(仕事をふやしたり、評価の採点を下げたり、出勤日数を減らして給料を減らす、等々)

そんな人がいるなら、仕事を辞めてしまえばいいよな。

けど、生活していく上で、なかなかやめられない。
それに、職場や仕事は好きなのだ。
また、仕事を辞めて、新しい職場に行ったとしても、そこにだって絶対にイヤな人はいるはずだ。

ここは、ふんばりどころなのか。

こんな時、どうすればいいのか考えた。

1.その人に、まっこうから挑戦を挑む。

いや、無理。
そんなことをしたら、向こうはいよいよこちらを攻撃してくるだろう。

2.他の、立場が上の人に相談する。

無理。
上の人は、その人の告げ口を真に受けている。

3.敵のヘイト(憎しみ)を下げる魔法を自分にかける。

すごくイイ!
敵のヘイトを下げるには、どうすればいいのか。

-1.笑顔で敵に挨拶し、こちらに攻撃の意志はないことを伝える。
-2.また、なにか物品を送る。
-3.おだてる。

げっ、私の性格的に無理。
なんで嫌いな人に、そんなことせにゃならんのだよ!
よけいストレスたまるわ。

けどな、自分。
「あの人にもっとマシな人になってもらいたい」
そう思ってもな。
人は変わらん。
というより、ちょっとやそっとのことでは、人を変えることはできない。

人を良い方向に変えることができるのは、
「もう一心不乱に、こちらの愛情を無償で注ぎ、その人がこちらの愛情でいっぱいになって、愛情がその人からこぼれるようになってからだ」

私は、そう思っている。
その人のためなら、死んでもいい、ぐらいの覚悟で、腹を据えて取り組まなくては、その人の根っこは変わらない。

そんな覚悟は、本当に愛する人にすればいいわけで、どうでもいい、嫌いな人に、そこまでの覚悟を持ってつきあう気はさらさらないのである。

つまり、
あの人に変わってもらいたい、と思っても、思ってるだけじゃ、その人は絶対に変わりゃしないのだ。

だから、自分の方が変わるしかない。

なんでそんな人のために、自分が変わらなきゃならないんだ。
そう思ったが、それは自分のためなのである。

これ以上、ストレスをためないためにも、私は変わらないといけないようだ。
考え方を変えればいいのだろうが、どうやって変えていいのか、まだよくわかっていない。

こんな私に、ある本がいい言葉を教えてくれた。
「不運が続くのは、幸運が順番待ちをしているんだ」

そか、ひとつの不運が私を通過していったから、ずっと後ろの方にいる幸運が、一歩私に近づいたんだネ。


ぶっこわれたパソが戻って参りました。
まだ、パソ環境、ぜんぜんそろってません。

けど、まず、ここに書いておく。

修理代5万4000円と聞いて、ガックリきていた私でしたが、

壊れていたのは、ハードディスクではなく、マザーボードだったことが判明し、そのため、修理代1万4700円で済みました。

ううう、うれすィーーーーーーイっ。

最初から1万4700円と聞いていたら、こんなに嬉しくなかった。

最初5万4000円と聞いたから、こんなに嬉しいんだ。

聞いても聞かなくても、払う金額は同じだが、ここまで嬉しさが違うなんて、不思議だネ。

ところで、4万円が浮いたような気がして、無駄遣いをしたくなっている私は愚か者といえよう。
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