幻水5はネタバレしてます
byぷり
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「一緒にいると一番すてきな自分でいられる」という人がいる。
自分、結構ダークな部分あるけど、この人の前では、その部分を出さなくていい。
自分、汚いこともしてきたけれど、この人がいると、自分がきれいに思えてくる。
自分、しようがない人間だけど、この人とならがんばれる。
自分、落ち込んでいても、この人が声をかけてくれるとたちまち元気になる。
そんなすてきな「この人」って、異性にも、同性にもいる。
そんな人に巡り会えたら、ものすごく幸運だと思う。
ただ、そんなすてきな人との関係が、時が経つと、まるで180度関係が変わってしまうこともある、というのは事実で、まったく皮肉な話だ。
それはさておき、逆に、「一緒にいたらいけない人」というのが、この世にはいると思う。
私にはいた。
学校のバイトで巡り会えた。
とにかく、その人といると、自分のどす黒い部分が湧き上がってくる。
こんなに人を「嫌い」だと思ったことはない。
もう顔を見るのもいや。
虫ずが走る。
身の毛がよだつ。
自然に、その人を害する妄想が出てくる。
妄想の中で、何度もその人を害する。
自分がどろどろに黒くなっていく。
いやだいやだ、こんな自分、いやだ。
こんな自分を見ないためには、その人と会わないことだ。
学校のバイトをやめよう。
そこでバイトをやめることになった。
その人を害する妄想が、妄想でとどまって良かった。
ひょっとしたら、犯罪が起きていたかもしれない。
なんで、その人のことがそんなに嫌いなんだろう。
まったく考えたくないことだが、考えた。
おそらく、その人のいやな部分というのが、自分の中のいやな部分といっしょだからだろう。
その人の口から出る「きれいごと」の中に潜む悪意を感じることができるというのは、自分にも、その人と同じ部分があるからだろう。
その人は、私が自分の中で一番嫌っている部分を映し出す、鏡の役割をしているんだろう。
私は、毎日、その人を見て、自分の中に隠している自分のおぞましい部分を見る。
だからその人のことをおぞましく感じるんだろう。
一番見たくない自分が、具現化されて、そこにいるのだ。
この世でもっとも嫌いな人、軽蔑の対象、そんなものが自分の中にあることを知る。
だが、私はそんなことでもう落ち込みはしない。
嫌いな自分なんて、若い時にいっぱい見てきた。
自分は、汚い、いやな人間だと長いこと思いこんで生きてきた私だ。
だけど、ずっと歳をとってから、自分の中にあるのは、そんなものだけじゃないことも知った。
自分の中には、すてきな自分もいる。
どろどろに濁っている汚物のような自分もいるが、キラキラ光っている天使みたいにきれいな自分だっているのだ。
汚泥の底に、見たこともないような、きれいな自分を発見して、涙が出そうになったことだってあった。
人というのは、どういうものでもあり得るのだ。
そう思う。
問題は、どっちを表に出して生きるかってことじゃないのかな?
バイト先のその人は、「こんな人にだけはならないようにしよう」と固く誓うために存在してくれたと思うことにする。
きっと、その人に会わなかったら、私は「その人」みたいな人になっていたかもしれない。
そしてまた思うのだが、その人にとっても、私は鏡だったのだろう。
我々は、お互いを見るたびに、そこに一番いやな自分を見て、互いに憎悪しあっていたのではないだろうか。
だって、その人は、私以外の人とは、うまくやってもいるのだからね。
私たちは、お互いの顔を見るたびに、お互いに黒く黒くなっていくのだ。
この悪循環の罠から脱するためにも、私はバイトをやめる。
それしかない。
この世には、絶対に、そばにいてはいけない人がいると思うから。
ここでは関係ない話だが、そういう「絶対に、そばにいてはいけない人」というのが、家族の中にいた時は、悲惨だ。
自分の立場が「子供」だったら、いよいよ悲惨だ。
今度のことは、バイト先のことで良かった。
自分の家に、そんな人がいたら、生き地獄である。
自分、結構ダークな部分あるけど、この人の前では、その部分を出さなくていい。
自分、汚いこともしてきたけれど、この人がいると、自分がきれいに思えてくる。
自分、しようがない人間だけど、この人とならがんばれる。
自分、落ち込んでいても、この人が声をかけてくれるとたちまち元気になる。
そんなすてきな「この人」って、異性にも、同性にもいる。
そんな人に巡り会えたら、ものすごく幸運だと思う。
ただ、そんなすてきな人との関係が、時が経つと、まるで180度関係が変わってしまうこともある、というのは事実で、まったく皮肉な話だ。
それはさておき、逆に、「一緒にいたらいけない人」というのが、この世にはいると思う。
私にはいた。
学校のバイトで巡り会えた。
とにかく、その人といると、自分のどす黒い部分が湧き上がってくる。
こんなに人を「嫌い」だと思ったことはない。
もう顔を見るのもいや。
虫ずが走る。
身の毛がよだつ。
自然に、その人を害する妄想が出てくる。
妄想の中で、何度もその人を害する。
自分がどろどろに黒くなっていく。
いやだいやだ、こんな自分、いやだ。
こんな自分を見ないためには、その人と会わないことだ。
学校のバイトをやめよう。
そこでバイトをやめることになった。
その人を害する妄想が、妄想でとどまって良かった。
ひょっとしたら、犯罪が起きていたかもしれない。
なんで、その人のことがそんなに嫌いなんだろう。
まったく考えたくないことだが、考えた。
おそらく、その人のいやな部分というのが、自分の中のいやな部分といっしょだからだろう。
その人の口から出る「きれいごと」の中に潜む悪意を感じることができるというのは、自分にも、その人と同じ部分があるからだろう。
その人は、私が自分の中で一番嫌っている部分を映し出す、鏡の役割をしているんだろう。
私は、毎日、その人を見て、自分の中に隠している自分のおぞましい部分を見る。
だからその人のことをおぞましく感じるんだろう。
一番見たくない自分が、具現化されて、そこにいるのだ。
この世でもっとも嫌いな人、軽蔑の対象、そんなものが自分の中にあることを知る。
だが、私はそんなことでもう落ち込みはしない。
嫌いな自分なんて、若い時にいっぱい見てきた。
自分は、汚い、いやな人間だと長いこと思いこんで生きてきた私だ。
だけど、ずっと歳をとってから、自分の中にあるのは、そんなものだけじゃないことも知った。
自分の中には、すてきな自分もいる。
どろどろに濁っている汚物のような自分もいるが、キラキラ光っている天使みたいにきれいな自分だっているのだ。
汚泥の底に、見たこともないような、きれいな自分を発見して、涙が出そうになったことだってあった。
人というのは、どういうものでもあり得るのだ。
そう思う。
問題は、どっちを表に出して生きるかってことじゃないのかな?
バイト先のその人は、「こんな人にだけはならないようにしよう」と固く誓うために存在してくれたと思うことにする。
きっと、その人に会わなかったら、私は「その人」みたいな人になっていたかもしれない。
そしてまた思うのだが、その人にとっても、私は鏡だったのだろう。
我々は、お互いを見るたびに、そこに一番いやな自分を見て、互いに憎悪しあっていたのではないだろうか。
だって、その人は、私以外の人とは、うまくやってもいるのだからね。
私たちは、お互いの顔を見るたびに、お互いに黒く黒くなっていくのだ。
この悪循環の罠から脱するためにも、私はバイトをやめる。
それしかない。
この世には、絶対に、そばにいてはいけない人がいると思うから。
ここでは関係ない話だが、そういう「絶対に、そばにいてはいけない人」というのが、家族の中にいた時は、悲惨だ。
自分の立場が「子供」だったら、いよいよ悲惨だ。
今度のことは、バイト先のことで良かった。
自分の家に、そんな人がいたら、生き地獄である。
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