幻水5はネタバレしてます
byぷり
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今朝、散歩をしていた時に、ふいに昔きらいだったAさんのことを思い出した。
Aさんのなにが嫌いだったかというと、他人のせいにするのが癖になっている人で、他人の悪口ばかりを言っているところがたまらなく嫌いだった。
散歩の途中で、もしこの道でその人に会ったら、何を言われるだろう? そんなことを考えた。
私は、怪我で会社をやめることになったのだが、そのことで「あなたの生でみんなが忙しくなってたいへんだ」とでも言われるのだろうか?
そんなことを考えていやな気持ちになった。
だが、ここにはAさんはおらず、私はなにも言われていないのである。自分のアイデアでいやな気持ちを味わっているにすぎない。
そして「他人のせいにする」というアイデアが湧くということは、私の脳のシステムにその考え方があるということだ。
うむ、実際に、私だとて、「他人のせい」と思うことは多い。今のいやな気持ちになったアイデアだって、「あの人がああいう性格だから思いついたんだ」とAさんのせいにしている。
なぜ、他人のせいにしてしまうのだろうか?
考えた。
それは「自分のせい」だと辛いからである。
たしかに、なにかあった時に、「自分のせいかも」と思うことは多い。つまり「自分は悪くない」と思いつつも、心の奥底で「自分のせいかもな~」と思っていたりする自分がいる。
では、なぜ自分を責めてしまうのだろうか?
赤ん坊のころはわけもわからず生きており、「自分がなにか悪いことをした」という意識はまったくなかった。
だが、生きているうちに社会や親や学校の先生の言葉や態度の中に「責められている」という空気を感じ取るようになる。
そして、いつしか、それを取り入れてしまった自分が自分を責めるようにまでなっていた。
自分で自分を責め、辛くて他人のせいにする。
そんなからくりができあがった。
実際に他人に対して、「あなたのせいだ」とは言わなかったが、心の中で思っていることは多かった。
自分が他人を責めれば責めるほど、「自分だって、こんなに人を責めるのだから、他人だって自分を責めるのは当然だろう」というシステムもあっただろう。
つまり、他人を責めると、他人から責められているような気がしてしまうのである。
なんということだ。
誰も私を責めていないのに、他人から責められているような気がしているのである。それは、自分が自分を責めているのである。(自分と一体化した過去の記録テープが、とでもいおうか)
それが辛くて、また他人のせいにする。
アホな一人芝居、ひとりサドマゾ劇場である。
さらにさらに、「他人のせいにする人」というのが嫌いなので、自分を嫌いになる。
そしてさらに、他人に嫌いな自己を投影し、その人を毛嫌いする。
な、な、な、アホか、私はーーーーーーーー!!!
自分の人生を自分で複雑にし、苦しんだあげくに人を嫌い、自分も嫌い、ひとりでとち狂ったように、負の舞を繰り広げているのだ。
なんたるあほう。
だれか、こんな私をどうにかしてくれ~!
それにしても気づいて良かった。
とりあえず、自分をむやみに責める自分をどうにかしよう。
おーい、だれも私を責めてないぞ~、責めてるのは年代物の記録テープやぞ~。辛い気持ちになんてならんでいいんだぞ~。だから、人のせいにしなくていいんだぞ~。
風が気持ちいいぞ~、今日は過ごしやすくて、いい日だぞ~。こんな日に、なんでひとりサドマゾ劇場を自分に披露して、いやな気持ちになってなきゃアカンねん!
あほうあほう~、家に帰っておいしいコーヒー飲もな~。
Aさんのなにが嫌いだったかというと、他人のせいにするのが癖になっている人で、他人の悪口ばかりを言っているところがたまらなく嫌いだった。
散歩の途中で、もしこの道でその人に会ったら、何を言われるだろう? そんなことを考えた。
私は、怪我で会社をやめることになったのだが、そのことで「あなたの生でみんなが忙しくなってたいへんだ」とでも言われるのだろうか?
そんなことを考えていやな気持ちになった。
だが、ここにはAさんはおらず、私はなにも言われていないのである。自分のアイデアでいやな気持ちを味わっているにすぎない。
そして「他人のせいにする」というアイデアが湧くということは、私の脳のシステムにその考え方があるということだ。
うむ、実際に、私だとて、「他人のせい」と思うことは多い。今のいやな気持ちになったアイデアだって、「あの人がああいう性格だから思いついたんだ」とAさんのせいにしている。
なぜ、他人のせいにしてしまうのだろうか?
考えた。
それは「自分のせい」だと辛いからである。
たしかに、なにかあった時に、「自分のせいかも」と思うことは多い。つまり「自分は悪くない」と思いつつも、心の奥底で「自分のせいかもな~」と思っていたりする自分がいる。
では、なぜ自分を責めてしまうのだろうか?
赤ん坊のころはわけもわからず生きており、「自分がなにか悪いことをした」という意識はまったくなかった。
だが、生きているうちに社会や親や学校の先生の言葉や態度の中に「責められている」という空気を感じ取るようになる。
そして、いつしか、それを取り入れてしまった自分が自分を責めるようにまでなっていた。
自分で自分を責め、辛くて他人のせいにする。
そんなからくりができあがった。
実際に他人に対して、「あなたのせいだ」とは言わなかったが、心の中で思っていることは多かった。
自分が他人を責めれば責めるほど、「自分だって、こんなに人を責めるのだから、他人だって自分を責めるのは当然だろう」というシステムもあっただろう。
つまり、他人を責めると、他人から責められているような気がしてしまうのである。
なんということだ。
誰も私を責めていないのに、他人から責められているような気がしているのである。それは、自分が自分を責めているのである。(自分と一体化した過去の記録テープが、とでもいおうか)
それが辛くて、また他人のせいにする。
アホな一人芝居、ひとりサドマゾ劇場である。
さらにさらに、「他人のせいにする人」というのが嫌いなので、自分を嫌いになる。
そしてさらに、他人に嫌いな自己を投影し、その人を毛嫌いする。
な、な、な、アホか、私はーーーーーーーー!!!
自分の人生を自分で複雑にし、苦しんだあげくに人を嫌い、自分も嫌い、ひとりでとち狂ったように、負の舞を繰り広げているのだ。
なんたるあほう。
だれか、こんな私をどうにかしてくれ~!
それにしても気づいて良かった。
とりあえず、自分をむやみに責める自分をどうにかしよう。
おーい、だれも私を責めてないぞ~、責めてるのは年代物の記録テープやぞ~。辛い気持ちになんてならんでいいんだぞ~。だから、人のせいにしなくていいんだぞ~。
風が気持ちいいぞ~、今日は過ごしやすくて、いい日だぞ~。こんな日に、なんでひとりサドマゾ劇場を自分に披露して、いやな気持ちになってなきゃアカンねん!
あほうあほう~、家に帰っておいしいコーヒー飲もな~。
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